茨城大学文理・人文学部在京同窓会

水交会概要

 

 茨城大学文理・人文学部の在京同窓会は、平成7年9月9日浦安のシェラトン・グランド・ベイ・トウキョウで第一回総会を開催し「水交会」の名の下に発足。

初代会長・安藤 康正氏

 

○ 第一回大会時には、第一回生(昭和28年卒)から第18回生(昭和45年卒)までの政経・経済学科の同窓生を中心に組織化。

○ 以後、2年に1回の総会という形で在京同窓会を開催。

○ 名称は在京同窓会ですが、茨城県〃南地区から埼玉、千葉、東京、神奈川・・・を中心に一部水戸・日立地区の方も含めて広く同窓生が集まっています。

○ 第2回、第3回は場所を大手町の経団連会館に移し開催。 対象年次も順次拡大し若い方の参加も増えています。

○ 毎回約200名が集まって、同期は勿論ゼミやサークルの先輩後輩との団欒、更に各業界の情報交流の場にもなっています。

〇 第4回は新装なったサンケイホール4F大ホールで01年10月20日開催致しました。

 

水交会の歩み』と私

一、私にとつての 『水交会』
有朋自遠方来、不亦楽乎。

世事に追われているうちに青春時代の瑞々しさを忘れかけていた。

「朋あり遠方より来たる」 は多少なりともこれを中和してくれる。

若き日のキャンパスの香りを懐かしみ、そして 「それから」 を温め会う。

まさに 「楽しからずや」 である。同窓会の楽しみはこれに尽きる。

 

二、発足へ の挑戦から発展まで
同窓会本部からの示唆を受け「在京同窓会」 発足に手を染めるようになっ

たのは平成七年五月のことだった。

何をおいても 「発会」 するに意義あり、幹事一同発足推進に際しては 

「小さく産んで大きく育てる」 に標準を定める。

第一回『水交会』は平成七年九月九日、東京デイズニーランド横のシェラトンホテル

にてその産声をあげる。出席者は先生方、本部役員を含めて二百十名超。

当初予想をはるかに上回る華々しい発会となった。

会の進行については 各年次の同窓会を同時同所にて開催する、というコンセプトに基づ

いた。セレモニーを極力短縮しワイワイガヤガヤ、懇談の時間を多くとることも配慮する。

宴の三時間は瞬時にも感じた。最後は二年後の再会を約して校歌をがなった。

そして二年が経過した.会の発展は幹事がよどみなくバトンタッチされてい

くのが絶対条件。初回は何とか形が出来た。しかし第二回の開催は心配が倍加する。

チャンピオンは初防衛戦の方がより難しいという。

昔を懐かしんで集まった仲間が約束の二年後 初回と同じ様に集まってくれるだろうか。

幹事にとってはたいへんなプレッシャーとなる。

最大の不安は 気骨の折れるこの力仕事を快く引き継いでくれる後任幹事の存在だった。

果たせるかな、その意志をガッチリ受け経ぎ 難問を見事にクリアーしてくれる同志がいた。

第二回『水交会』は平成九年十一月、舞台を大手町の経団連会館に移して

開催された。これもまた初回に優るとも劣らない盛況をみる。

継続は力なり。必然、それは伝統の力となる。

第三回 「水交会』は勇躍本年十一月六日、前回同様、経団連会館にて開催される。

 

三、 同窓会の効用
   《こころざしを果たして いつの日にか帰らん 山は青きふるさと 水は清きふるさと》

先日、NHKのど自慢ペルー大会で昭和十年前後にペルーに移民した九十歳近い

おばあちゃんがこの「ふるさと」を熱唱した。

私は何故かこの歌を口ずさむ時うるうるしてしまう。

「郷関」を出る時には、かりそめにも「こころざし」があった。

もとよりその「果たした」度合いはそれぞれのスケールによる。

だが、時としてこの「郷関」を懐かしみ、不可能と知りつつも青春への回帰に思いを馳せる。

同窓会の効用はこんなところにあるのかも知れない

清水秀雄(第十一回卒)1999年1月記

 

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